トーキョーサンドウィッチ

大阪出身 東京在住27歳 羨望と怠惰に挟まれて、今日も生きています。 Twitter : ry0oooooo0ta

嫉妬のレベル上げ

娘が可愛いから更新が滞った。
というのは誰の目から見ても言い訳に過ぎず、あまり体として美しくない。文章に起こすことをしていないくらいのことならばいいのだけれど、身の回りの数々の事情を現状維持のための理屈にしてしまっているのであれば、はっきり言ってよくない。もうすぐの28歳を目前に、会社勤めとしても6年に向かっているところ。えてして迷いやすい時期でもあり、ああでもないこうでもないと近頃堂々巡りをしていたのも事実だ。

 

大前研一さんあたりが言っていた(ような気がする)現状を打破するには
①時間配分を変えるか
②生活の場所を変えるか
③付き合う人を変えるか 
のどれかであり、決意を新たにするだけでは意味がないということ。結構その通りだとは思ってはいて、意思が薄弱な僕はまだ取り組みやすいことからがいいだろうということで、③をチョイス。それも付き合う人を変えるというかは、ただ単に飲み歩く機会を増やす、旧友たちと語らう機会を増やすという簡単オブザイヤーな方法を選択した。(家にあまりいなくなったことで嫌な顔をせず頑張ってくれている妻さんにはこの場だけでなく、今晩肩もみをするなどして労っておきたい。)普段より仕事やプライベートで他人と飲む機会が月に1回ほどであった僕にしては珍しく週に3回くらいは人に会い、話すことをした。(浪費家の僕は飲み代を家飲みにして抑えることで数々の丁寧な暮らしに必要なもの、家族と過ごすための時間に持てるだけの投資先としていたのだけれど、対外的な飲みを増やすこととそれらを両立を目指すのはなかなかに金銭的に難しいということも月末のカードの請求を見て、そう思った。)
その結果として、もちろんすぐには効果が出なかったけれど色々と話すうちにわずかに見えてきたことがあった。そして僕は決意を新たにするために久しぶりにブログを書きたいと思った。きっと偉い人が言っていたようにそれ自体に意味はないんだけど。
 
まずいろんな人と話をする上で思ったことは、憧れたいかっこいい人たちはいまの自分の置かれている状況や考えていることはもれなく通ってきているということ。ということは、ぼくも乗り越えられるしきっと乗り越えて行くんだということ。きっとそれは生存バイアスでもあり、良く生きて生きたいのならあんまり腐ることなく、前を向くべきであるということ。常日頃とかく選択肢を増やすために生きたいと思っているけれど、まだこの段階においてはやっぱり選択と集中が肝要であり、ぶれていては全力を出し切れないこと。まだこれといって成し遂げたことがあるわけでもなく、大坂なおみのような一撃必殺があるわけでもない僕はくすぶっている場合ではなく、競走馬が目の上に器具を取り付け視野をしぼめるみたいにただ単に将来の選択肢を広げるためにも(それらが少なくとも正しい方向性であることを前提に)目の前の選択肢を削って取り組むことが大事でもあるのだ。
 
となったときにどういった組織・どういった物事・どう言った未来に自分の魂をたくすかは極めて重要だ。それはきっとゴールからの逆算から決まる。ゴールがないと目指すべき方向性がわからないし、そのゴールに対して迷いが少なければ少ないほどエンジンがかかる。ゴールもそうであるがKPIマネジメントよろしく、ベンチマークと呼ばれる類のものが必要だと僕は考えた。
 
ではベンチマークをどうするか。
 
 
嫉妬という感情をうまく使うべきだと思った。
 
 
嫉妬について広辞苑でも別に調べてないし本来の意義はよくわからないのだけれど、ぼくが岩波書店の編集者であったならば、妬みのような負で闇なエネルギーを備えつつもそれでいてポジティブだというか、どうにか近づいてやろう乗り越えてやろうと闇を上回るような明るい原動力をもつものだと、拙い日本語で表現するだろう。
つまりこの定義においてで行くと、嫉妬の対象に対して実家にピザーラ10枚送りつけるような嫌がらせはしない。
そしてもうひとつ重要なことがあって、乗り越えてやろうと思えないようなとても遠い存在には憧れこそ抱きつつも嫉妬はしないのだ。ぼくは竹内涼真さんに憧れはするものの、決して嫉妬はしない。もしも歯車が食い違っていたらあのようになっていたかもとはとても思わないからだ。
 
だとすると嫉妬する対象のレベルを高く保つことが自分を引き上げてくれるんだ。
 
僕はよくネットサーフィンに励むのだけれども、そのなかでもインタビュー記事はよく目にすることにしている。そんななか最近で悔しい気持ちと憧れな気持ちとの総和が最大限に取れたのが、heyの佐藤裕介さんの生き方である。複数の会社を上場し資産は底しれず、googleという大企業でも活躍し得た功績があり、それでいて社会貢献だ世界を変えたいだなどの聖人君主すぎるメッセージでなく「マイメンビジネス」など気の知れた仲間と共に時間を濃く重ねることそのものを仕事にするというとてもキャッチーなコンセプトでかつ時代にフィットした言葉を投げかけることもしている。特に一番後者のマイメンビジネスは僕が発明したことにしてほしいくらい素敵な概念で、いっぱしのヒッピーでなくちゃんと社会的に成功している人がそのようなことをサラッと(少なくとも僕にはそう思えた)導きだしているのがとてもかっこいい。
 
*ちょっと気になった人は、これもかっこいい大人の人であるクラシコム青木耕平さんとの対談であるこちらの記事を読んで見てほしい

マッチョな競争から降り、「コーポレートブランディング」を楽しむと何が起きるか?──hey 佐藤裕介×クラシコム 青木耕平対談 前編 – クラシコムジャーナル

 
そんな佐藤裕介さんに嫉妬した、正確にいうと「嫉妬していることにした」という大きな進歩がこの週末にあった。場面はみんなそれぞれに今を時めくネット企業で働いている大学時代のかっこよくイケている先輩たちと飲んでいるなかで、ふと飛び出した「どの企業のTシャツを着ているとカッコいいか」といった話。heyコンプレックスが直近に植え付けられているので、heyはコーポレートTシャツをネットで販売しデザインも良くとても好評だという記憶が出てくること2秒、当然意識はした。そのような葛藤のなかまっさきにイケているパイセンから「heyじゃない?」といった言葉が出てきて、僕は少し飲み過ぎたビールの力を借りて同じ苗字の佐藤として負けてられないという思いを爆発させ、「hey佐藤さんには正直嫉妬・ジェラシーを感じているから着たくないっすね」と切り出し持論を口にして見た。とっさの行為だった。
 
正直に僕にとって佐藤裕介さんは嫉妬というにはおこがましい対象だというか、竹内涼真さんに近い「決してなれることのない憧れの人」側にだいぶ振れ幅がきいているとは思う。でも、ぼくはその場で嫉妬しているという表現をつかうことで、佐藤裕介さんを指をくわえて見ているだけでなく追いついてやる存在に昇華することがほんの一瞬できた。まやかしだったとしても口にすると身はキリッとするもので、なにかしないといたたまれなくなり、台風なキャンプからの帰宅後ハンターハンターの連載復活以上に久しぶりなランニングもしたし、(おなかの上に少しのった肉が実は気になっていた)積ん読も少し解消させた。そして、文章もこうしていま書いている。もやもやしてばかりでは何も変わらないことを身を以て知っている僕だからこそ、具体的に嫉妬を意識することで遠回りだとしても動き出したいと前向きな気持ちになることができた。昔ヒーローだったものの明確な目標を持たないまま徐々に牙を失って行くある種の僕のような存在にとって、嫉妬はとてもとても必要な材料だった。
 
嫉妬する対象をとても高いところにおく。
佐藤裕介さんを目指すのであれば、働きがよくないのに高給をもらっている職場のおじさんやスタートアップを立ち上げてるだけでいい気になっている人(ぼくの半径の近くにはかっこいい独立屋が多いのだけど、なんというか直接の知り合いじゃない斜めくらいに多い気がしていることはここで触れておきたい。高校の同級生の平岡さんとか人事の大先輩の庄田さんとかは最高だ。)などに嫉妬してる場合じゃないんだ。何かがあれば楽したいぼくはこのくらい意識が高いくらいでちょうどいい。
とにかくイケているひとにShitと思い続け、具体的な行動に変える。
 
そうしていければ嫉妬とshitをこんな長い戯言の最後のオチに使うような僕の話のレベルもきっと引き上げられるだろ。
きっと明日からの2018下期で撤回したくなる日もいっぱいあるんだろうけれど、がんばっていこうな。